絹織物の日本伝来

田辺聖子著「古事記」には第16代仁徳天皇の御代に「大后(石之日売命イワノヒメノミコト)がこの宮へお出ましになったわけは、奴理能美の飼う不思議な虫をご覧になるためでございます。この虫は一度は這う虫になり、一度は繭になり、一度は飛ぶ虫になるという、三種類に変わる不思議な虫でございます。・・・・・」とあります。

「日本書紀」によると第15代応神天皇37年(西暦306)2月、阿知使王(アチノオミ)・都加使王(ツカノオミ)が縫工女を求めて
高麗国に渡り、呉に到り呉国王より兄姫(エヒメ)・弟姫(イロヒメ)・呉織(クレハトリり)・穴(漢)織(アヤハトリ)
ら4名の織姫を賜り、41年(310)2月に武庫津(西宮)に着いたという記実があります。

私は子供の頃に西宮市綾羽町に住んでいたことを20年ほど前に思い出し「織姫伝説」を調べたことがあります。
西宮市には「呉羽町(くれはちょう)」・「綾羽町(あやはちょう)」・「染殿町(そめどのちょう)」が現存し、「松原神社」には、「あやはとり・くれはとり」の2本の松が今も有るのですが、それはもう何代目かの松になるそうです。この武庫の津より上陸し、この地で染め織りを始めた形跡が残っています。

大阪府池田市には
漢織(アヤハトリ)をお祀りしている「伊居太神社」(イケダジンジャ)、呉織(クレハトリ)をお祀りしている「呉服神社」(クレハジンジャ)があります。
池田郷土資料館によると、4人の織姫と言うのは4人ではなく、「織り師、染め師、縫い師、刺繍師、機作り師」
などの4団体のことだそうです。納得ですね。

s穴織神社   いけだ神社3s伊古多神社

いけだ神社1s   いけだ神社2s  呉羽2s 呉羽神社1s呉羽神社
福岡県宗像神社祈念館の記実によると、4団体のうち兄姫(エヒメ)だけが福岡県に上陸し、宗像神社にて航海祈願の「幟ノボリ」を織ったとあります。
その後、3団体は西宮市武庫の津から上陸、その土地その土地で織物等を始めたと思われ最終的に池田市にて祀られたのです。古くから有る伊居太神社は「イケダ」と読むことから池田市と名付けられたのでしょうか。

四国愛媛県の愛媛は、エヒメという織姫がいたという伝説から名付いたそうですが、福岡に上陸した兄姫(エヒメ)の団体の子孫がそののち四国まで移動し、愛媛県で定着したと思われます。
愛媛県野村町は明治3年より養蚕が始まり今も織物の村で有名です。

因みに、織機の材料は新木だとくるいが生じますので、少し古くなった材木の方が適しています。陸に上がった際、航海してきた舟を壊して作ったと伝わっています。何故なら、織機の上方は今も屋形舟のような形になっていますし、巻き取る棒=けん棒やけん綱は櫂=かいを使用したのではないかと推測されます。

命がけで渡り、そして二度と故郷に帰らないという決心で日本に渡来された織り師たちに敬服いたします。

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